ラクダのガラス瓶~ウィーンの街角で出会った異国情緒~

千品千話 ラクダのガラス瓶

数年前のこと。ウィーン郊外の街に宿泊した私は、帰りのフライトまで微妙に残った時間を持て余し、宿の周辺をぶらついていた。
辺りは閑静な住宅街。多くの人で溢れ返る中心部の、いわゆるリンク沿いの街並みとは、打って変わった静けさだ。人通りは少なく、通りの幅も少し狭い。付近に住む人のほとんどが、昼間は仕事や学校に出かけているからだろう。たまに見かける店は夕方からオープンするパブばかり。入れる場所といえば、スーパーマーケットくらいしかない。

あまり遠出して迷子になっても困る。大人しくスーパーマーケットで、お土産用のお菓子でも買って帰るか。そう思って引き返しかけた時だ。視界に風変わりなウィンドウが映った。
遠目からはわからなかったが、よく見ると透明な置物がいくつも並べられている。
ガラス瓶だ。ワイン瓶のような一般的な形もあるが、ほとんどが人形や乗り物など、様々な造形をしている。
私の目が引き寄せられたのは、ラクダの形をしたガラス瓶だった。

ウィーンの街角で、ラクダ?
奇妙な組み合わせに胸が弾んだ。もっと近くでその瓶を見てみたい。
外から見る限り、店内は薄暗くて誰もいない。だが扉を押してみると簡単に開いたので、少し怖かったが、思い切って店の中に入ってみることにした。

販売店なのか、工房なのか。入ってみると室内は、どちらか判然としない雑多な空間だった。奥にはガラスの造形に使いそうな器具が置いてある。しかし手前の台の上には、所狭しとガラス瓶が立ち並んでいる。
手近な一つを持ち上げてみると、底に手書きの値札シールが貼ってあった。箒に乗る魔女の形をしたガラス瓶だ。隣には帆船もある。三日月から注ぎ口が伸びたシンプルなものも。どれも楽しい。
思わず夢中になっていると、奥からエプロン姿のマダムが姿を現した。慌てて挨拶をし、品物を見てもいいか、ジェスチャーで訊いてみた。マダムはにこっと唇の端を引き上げ、快く頷いてくれる。
ホッとした私は、改めて一つ一つのガラス瓶を見て回った。魚の形、抽象的な流線型、猫、果物…。
どれも魅力的だけれど、やはり見るたびに胸がざわつくのは、ラクダのガラス瓶だ。
ヒトコブの背からは細い注ぎ口が伸び、黄色いガラスの帽子を丸く被せた、コルクの栓がついている。持ち上げると底には「2.80ユーロ」の値札。むむ、意外に安い。大きさも手頃で、小さなビールの瓶程度。これなら十分トランクに詰め込める。
しかし、一度冷静になって考えてみよう。いくら旅行中とはいえ、簡単に衝動買いをするのは良くない。この子を連れ帰って私は、一体どうするつもりなのか?

幸か不幸か、その疑問にはすぐに答えが出た。いつか砂漠の国へ旅に出て、現地の砂を持ち帰り、このラクダに詰めるというのはどうだろう。
色が異なる砂を段々に重ねて、砂絵のようにしてもいい。きっと綺麗だ。そうだ、このラクダは恐らく、次の旅への誘い手なのだ。
そんな都合の良い楽しい想像をしてしまっては、もうこのラクダを連れ帰るしかない。私はマダムに向かってラクダを指差し、この子を引き取りたい旨を伝えた。日本への長旅でラクダが壊れてしまわないよう、マダムは丁寧に紙を巻いてくれた。以来、偶然出会ったラクダは、いつでも私の傍にいる。

観光とは無縁の街で見つけた、ウィーンの街にはちょっと不似合いな動物のガラス瓶が、結局はその旅で一番の思い出になったかもしれない。
さて、向かう砂漠はどこにしよう。有名なのはサハラだが、中央アジアもいい。今もパソコンデスクの上に置かれたラクダを見るたびに、心はまだ見ぬ異文化の風景へと飛んで行く。
ラクダは古くから砂漠地帯での旅の友として重宝されてきたが、水や食料が豊富にあり、部屋から一歩も出ずに外部との連絡が簡単にできてしまう現代日本でも、心の旅の友として十分に役立ってくれる動物のようだ。

ラクダを連れ帰ったあの日から数年。砂漠への旅はまだ実現できていない。
だが、いつの日か必ず実行に移すつもりだ。その時が来たならガラス製のラクダは、今よりもっと深い思い出と愛着を背負って、私の心を新たな旅へ導いてくれることだろう。
かやま ともえ